温暖なエリアの南房総・館山は、年間を通じて様々な花を楽しめます。今回は、桜の季節という事で、南房総・館山エリアのおすすめ桜スポットをご紹介します!

南房総・大房岬自然公園

関東富士見100景にも選ばれ、晴れの日は富士山が一望できる、南房総国定公園です。 春の時期には、ヤマザクラ、オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラなどの桜が咲きます。

館山市・城山公園

見晴らしのよい丘陵地に、館山市立博物館や日本庭園などが点在。花の公園としても親しまれ1~3月中旬に咲く約200本の「梅」春には1200本の「椿」や約500本の「桜」、 4月には6400本のツツジと季節の花々が美しく咲き誇ります。

館山市・安房神社

境内の様々な場所に桜があり、安房のパワースポットと呼ばれる安房神社。

4月上旬の日曜日には、桜花祭(おうかさい)が開催されます。桜の花を愛で、春の訪れを祝い国民の繁栄・発展・幸せを祈願する祭典で、この頃、参道の桜が見頃となります。

館山市・補陀洛山 那古寺

那古寺は真言宗の古刹で、千手観世音菩薩を本尊としてお祀りしています。
4月8日には、お釈迦様の生誕を祝う「花祭り」(正式呼称「降誕会(ごうたんえ)」)が開催されます。桜の見ごろは3月下旬~4月上旬、ソメイヨシノなど約40~50本が咲き誇ります。

里見という名前をご存知ですか?
江戸時代に活躍した曲亭馬琴(きょくていばきん)の小説、

『南総里見八犬伝』の物語のモデルになったのが実在した戦国大名、里見氏です。

里見氏は、「戦国時代に安房国を治めた武将」として、歴史に名を刻んでいます。

今回は、2024年10月25日から上映スタートする、映画『八犬伝』を記念し、

南房総・館山市の八犬伝の聖地を紹介します。

【公式HP】https://www.hakkenden.jp/
【公式Trailer】https://youtu.be/9PxaNXAyJqw?feature=shared

【主な出演者】
役所広司・内野聖陽・土屋太鳳・渡邊圭祐・鈴木仁・板垣李光人・水上恒司・
松岡広大・佳久創・藤岡真威人・上杉柊平・河合優実・栗山千明・中村獅童・
尾上右近・磯村勇斗・立川談春・黒木華・寺島しのぶ

館山市/館山城・城山公園

城山山頂にある八犬伝博物館は、館山市立博物館の分館です。天正16年(1588)安房の名門、12万石を有した里見氏9代目義康が築き本拠とした館山城(別名里見城)の城跡に建てられました。館山城は南総里見八犬伝の舞台としても知られています。

館山市/観音寺(養老寺)

本尊は十一面観世音菩薩立像。 境内には石窟と独鈷水があります。 窟中には役行者(えんのぎょうじゃ)の石像があります。
八犬伝には、幼少の伏姫が役行者から8つの玉を授けられたと記されています。

南房総市/白浜城跡

小田原北条氏と江戸湾を挟んで戦いを繰り広げるまでに勢力を拡大する里見氏が、安房に入って最初に本拠としたのがここ白浜の地です。
15世紀頃、太平洋海運の要衝地だった白浜は事実上、関東管領上杉氏の領地でした。享徳の乱(1454年)をきっかけに、鎌倉公方足利成氏が関東管領勢力から重要地である白浜を奪還すべく、里見義実を安房に送り込んだと言われています。

館山市/八遺臣の墓

元和8年(1622)に倉吉(鳥取県)郊外で没した里見忠義に8人の家臣が殉死しました。その遺骨を分骨し、この地に供養したものと伝えられています。

里見ゆかりの城跡

【稲村城】

 稲村城は、JR内房線九重駅の南西の丘陵に展開する前期里見氏の重要拠点です。北に国府推定地である三芳村府中を望む丘陵の北端に位置し、館山平野を一望できる場所に所在しています。現在、東西にJRと  国道128号線が走り、千倉、白浜方面への分岐点として交通の要衝にあたります。
 曲輪、土塁、堀切、腰曲輪等の遺構がみられ、主郭部分は東西南北約500mの規模を持っています。館山平野を掌握した里見氏が、安房国を統治するための拠点とした重要な城であったと思われます。

【滝田城】

 滝田城は、三芳村上滝田に所在し、平久里から三芳村府中へ向かう街道沿いにあります。東西約1㎞、南北約800mの規模を持ち、平久里川が、増間方面からの支流と合流する地点にあります。
前期里見氏の時代、幹道を押さえる目的で築城されたと思われ、腰曲輪、曲輪、空堀等の遺構が確認されています。

【宮本城】

 宮本城は富浦町大津に所在し、別名大津城とも呼ばれています。
 東西・南北約1.2㎞の丘陵上に展開する大規模な城であり、土塁、空堀、曲輪、腰曲輪、石積、土橋、櫓台、虎口、井戸などの遺構が確認されています。
 里見義尭が一時在城したといわれており、滝田城から西へ2㎞の尾根続きにあります。

【岡本城】

 岡本城は富浦町豊岡に所在します。西に海を望む丘陵にあり、水軍の拠点となったところといわれています。
 里見義頼が居城し、北条氏からの防御の城であったと思われ、周囲には支城がいくつか所在しています。東西約600m、南北約300mの規模を持ち、曲輪、土塁、空堀、腰曲輪、水堀、石塁、石積、土橋、虎口、掘立柱建物跡などの遺構が確認されています。

御城印

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